人間ウォッチングとフレームという概念

こんにちはฅ^・ᴥ・^Chihiroです。

人間ウォッチングが大好物です。
(食えないけどね)

興味深い人を見た時、その人の生きてきた、決して目にすることがない歴史(今に至るプロセス)をイメージすると、心が躍るんですよ。

このプロセスをパチパチっと瞬きを数回しているうちに妄想(イメージ)できれば

しびれる!

 

例えば寿司職人
あのしなやかな手さばきの裏に、どれだけ濃い時間の経過があったことでしょう。

楽しかったこと、悔し涙を流したこと、大爆笑したこと、誰にも負けない程やったこと。
てやんでべらぼーめー的なこと。
あんなこと、こんなこと、あったでしょ!?

ほとんどの人が目にすることがないこうしたプロセス。
これら全てが、目の前で寿司を握っている粋なすし職人を作り上げたかと思うと、しびれる。
だたの妄想にしてもしびれる!笑

私はこれらをニタニタしながら楽しませて頂いてから、エネルギーシフトで自身への活力にさせてもらっています。

 

この奇妙な趣味は、私のフレームを通して自由に楽しんでいることなので、ほぼ言葉にすることはありません。

ここで言っているフレーム(frame)とは、これです。

間違ってもFlameではありません。
(ファイヤー!!燃えてしまうやろ。)

 

フレームとは、カメラのレンズをイメージするとわかりやすいと思いますが、人それぞれ違っていて、オリジナル。

それぞれがオリジナルフレームを通して物事を見ているからとてもユニークなんです。

ここで言うユニークとは、面白いというより、重複していないということです。

 

従って、フレームは人の数だけあり、千差万別。
人によって見えるもの、感じるものが違ってくるわけです。

ですから、年齢誰かに似てる発言にも相違があって当然ということになりますね。
(これはどーでもいいっちゃ、どーでもいい話)

そこでです。
「自分のフレームと人様のフレームとは違う」ということが前提として相互理解できているとしたら、誰も傷つかないと思っているんですよね。



例えば、年齢に関していうと
「●歳だったらこうあるべき」「この年代の人たちはこうこうだ」というのは誰かの独自のフレーム。
(たとえ、同じ言葉を使っていたとしても微妙な違いがある)

なのに他人様をムリクリ自分のフレームにはめ込んでしまうと
その人の秘めた可能性、希望、夢を土足でメタメタに踏みつぶしてしまうことになりかねません。
時には深い傷をおわせることにもなったり。

あるご夫婦のお話です。
ご主人のお仕事の関係で、もう長くカナダにお住まいでした。

定年を迎え、生まれ故郷である日本に帰って来られ、スキーシーズンになるとご夫婦でスキーを楽しんでいたところ
ある日、見知らぬスキーヤーに
「おいくつですか?」と声をかけられたのだそう。

この一言でどうなったでしょう?

スキーの本場カナダでは年齢関係なくスキーを楽しんでいたのに
還暦過ぎてスキーをすると日本では、心配される?迷惑になる?それとも不思議なの?と
あれこれ考えるようになり、行かなくなったのだそうです。

話しかけたほうには、悪気があったわけではないでしょう。
そう、それはそうだ。
でも、スキーするのに、年は関係ない。

 

応援しようよ!尊重しようよ!互いにね。

人はいろんな人がいるからおもしろくて
自分とは違っているから魅力を感じて
惹かれて
好きになって
ファンになって
友達になって
仲間になって

そして、自分のフレームを通して見えたことは、素敵な言葉で伝え、”嬉しそう”が渋滞しますように♡

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